自己紹介

1982年 福島県郡山市に生まれる

幼少〜学童期は海沿いの小さな町で、多感な思春期は山に囲まれた地方都市で過ごす

とはいえ、その山を越えていきたいという気持ちはさらさらなく、当たり前のように地元の大学に進学

そこで出会った夢あふれる熱い仲間に刺激を受けて、本当に自分のやりたいことはなんだろうと立ち止まる

一念発起して大学中退

「人がもともと持っている力と向き合う仕事がしたい」というところにいきつき、看護の道を目指す

実家大好き人間は、「大学卒業したら絶対帰ってくるから!」と両親に約束し、勇気を振り絞って都会に出る

大学に入って、看護といってもいろんな仕事があるんだということを知り、初めて「助産師」という職業を知る

「助産院に行ってみたい!」と相談した先生に紹介してもらった助産院を見学させてもらい、その助産院の雰囲気が大好きになる

そして「助産師なりたい!」と思う

大学卒業後、いつか助産院で自然分娩のお手伝いがしたい!と思い、分娩件数の多いところで経験を積もうと、「5年働いたら絶対帰ってくるから!」と両親を説得して東京の産院に就職(そう!これぞ帰る帰る詐欺確定1回目!!)

就職後、仕事に疲れるとふら〜っと茅ヶ崎まで遠出して助産院を見学させてもらい、元気をもらって帰る

そうこうしているうちに、その助産院に居候している男性と出会う

「一緒に楽しくお酒が飲める」

この絶対に譲れない条件をクリアしたこの男性と結婚することにする(そう!!これぞ帰る帰る詐欺確定2回目!!)

そして、夫となった人は私に負けず劣らずの実家大好き人間であったことを知る(類は友を呼んだ)

愛を貫き、夫のたっての願い「実家からスープの冷めない距離に住みたい」それを叶えるべく今のおうちへ

スープが冷めないどころか、「お産だ〜!」と夜中に飛び起きて全力疾走してもぶっ倒れない程度の距離に住むことになる

結婚してからは、子どもを産んだり、子育てしたり、ちょっとお仕事したり、自由気ままにさせてもらう

「末っ子が小学校に入るまでは子育ての合間にやりたい活動を自由にやらせて〜」と夫に懇願(いわゆる固定給の確保を依頼)

「自然分娩できる助産院がこの先も永く残ってほしい」

「産む前に知っていたら助産院で産んでみたかった、という人を減らしたい」

その一心で、助産院の広報活動、湘南助産師会の立ち上げから運営・広報活動に奔走する

そうした活動を通して見えてきた子育て世代の課題

「孤育て」「赤ちゃんを亡くした悲しみとともに生きる女性のケア」

にゆっくりじっくり向き合いたいと思い、『助産師のおうち』を開業することを決める

『助産師のおうち』の住人は、助産師 齋藤かおり、助産師の夫、助産師の息子2人と娘1人

助産師 齋藤かおりの趣味は、助産師のしごと、美味しいものを食べながらお酒をのむこと、愛車で車中泊すること、ピアノを弾くこと聴くこと、歌うこと、おうち映画館